ジェイムズ・ブラウンの全盛期

ジェイムズ・ブラウンの全盛期

JBは間違いなくファンクの帝王で、これから先のミュージシャン達に大きな影響を与えることは間違いないでしょう。実際はそんなに大きな身長ではなかったようですが、ものすごい威圧感が後のインタビューアーの言葉で明らかになっています。アメリカが黒人人種差別が色濃い時代背景の中で、白人が社長を務めるレコード会社で自身の楽曲を出すために頑張っていたJBは、まさにファンクを牽引した帝王と呼ばれるにふさわしい人物といえるでしょう。

ジェイムズ・ブラウンの生涯~1970年代

服役中だったJBと塀の外だったボビー・バードがどのように知り合ったかは、いろいろ諸説ありますがJBの楽曲『Get Up (I Feel Like Being A) Sex Machine』で、JBの「ゲロッパ!」に対し「ゲロウナ」とボビー・バードは、他の曲でもボビー・バードがソングライターとしてクレジットされています。JBとボビー・バードは1972か73年ごろに袂を分かつことになります。

1970年代

1970年3月にJBのバック・バンドに大幅なメンバーチェンジがありました。それは給料に関するトラブルから、メイシオ・パーカー(テナーサックス)をはじめとしたメンバーのほぼ全員がバック・バンドを脱退することになりました。それに伴って、ブーツィー・コリンズ(ベース)たちを中心とした新しいバンドが迎え入れられるkとになりました。新しいメンバーは「JBズ」( The J.B.'s)と名付けられて、この名義でリリースも行うようになりました。JBの「全盛期」を支えた「JBズ」の主要なメンバーを紹介します。1970年の末からは、フレッド・ウェズリーが音楽監督となり、ウェズリーが75年に脱退するまでの4~5年間の間は「ファンク完成期」巴いるほど、JBの充実期ともいえる時期になります。

The JB's:1970から71年ごろのメンバー

  • ダリル・ジャミソン… トランペット
  • クレイトン・ガネルズ… トランペット
  • フレッド・ウェズリー… トロンボーン
  • ロバート・マックロー… テナーサックス
  • セントクレア・ピックニー… テナーサックス
  • フェルプス・キャットフィッシュ・コリンズ… ギター
  • ハーロン・マーティン… ギター
  • ウィリアム・コリンズ… ベース
  • ジョニー・グリッグス… コンガ、パーカッション
  • クライド・スタブルフィールド… ドラム
  • ジョン・スタークス …ドラム
  • ヴィッキー・アンダーソン… ボーカル
  • ダニー・レイ… MC

The JB's:1972~74(75年)ごろのメンバー

  • ジェローム・サンフォード… トランペット
  • ダリル・ジャミソン… トランペット
  • アイク・オークレー… トランペット
  • ジミー・パーカー… アルト・サックス
  • メイシオ・パーカー… アルト・サックス ※1973年頃再加入
  • セント・クレア・ピンクニー… テナー・サックス
  • エルディー・ウィリアムス… テナー・サックス
  • スウィート・チャールズ・シェレル … キーボード&ベース
  • ジミー・ノーラン… ギター ※1972年頃再加入
  • ハーロン・マーチン… ギター
  • ロバート・コールマン… ギター ※1971〜2年頃脱退
  • フレッド・トーマス… ベース
  • ジョニー・グリッグス… コンガ、パーカッション
  • ジョン・スタークス:通称ジャボ…ドラマー
  • マーサ・ハイ… バックボーカル
  • ボビー・バード… ボーカル、オルガン
  • リン・コリンズ… ボーカル
  • ダニー・レイ… MC
  • フレッド・ウェズリー… トロンボーン兼音楽監督

フレッド・ウェズリー

1943年7月4日にジョージア州コロンバスで生まれて、アラバマ州モバイルで育ちました。父親は高校教師でビッグバンドのリーダーでした。子供時代にピアノ、トランペットのレッスンを受けていました。12歳の時に父親がトロンボーンを家に持ち帰ってきましたが、フレッドはすぐにトロンボーンに夢中になりました。

JBの音楽監督になってから、『Say it Loud - I'm Black and I'm Proud』『Mother Popcorn』など作曲を手がけて、『Hot Pants』などの曲では共作もしています。

なめらかなリフと刺激的で正確なソロ演奏は、サックス奏者メイシオ・パーカーの演奏を補完することになり、JBのファンク・ミュージックに器楽的な魅力を与えることになりました。多くの作曲やアレンジを担当して、JBの黄金期を支えた人物と言ってもよいでしょう。

ディスコブーム到来

1974年に、アフリカでJBは公演しています。アフリカの現コンゴ民主共和国(旧国名:ザイール)首都のキンシャサで、ボクシング世界ヘビー級タイトルマッチが行われました。「世紀の一戦」「キンシャサの奇跡」ともいわれた、挑戦者モハメド・アリと王者ジョージ・フォアマンが対戦した時です。この試合をプロモートしたドン・キングが、この試合と同時に開催したのが『アフリカのウッドストック』と宣伝された音楽フェスティバルでした。この音楽フェスティバルにJBが出演しています。この時の様子が映画「モハメド・アリ かけがえのない日々」や映画「SOUL POWER」で観ることができます。

1975年頃から起こったのは「ディスコ・ブーム」です。この「ディスコ・ブーム」の到来とともに、JBの人気は下降線をたどることになりました。ブラウンのサウンドは、ダンス・ミュージックのオリジナルであるにも関わらず、皮肉なことに「ディスコ・ブーム」に乗ることは出来ませんでした。1976年の『Get Up Offa That Thing』や1977年の『Bodyheat』などのヒットもあることにはありませうが、1970年代後半はJBのセールスは低調になってしまっているため、いわばJBの冬の時代とも言える時期になります。1979年の「イッツ・トゥー・ファンキー・イン・ヒア」を含んだアルバムの「オリジナル・ディスコ・マン」は、佳作として後に評価されています。

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ

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