ジェイムズ・ブラウンは我が師匠

ジェイムズ・ブラウンは我が師匠

JBは何回か逮捕されていますが、元々はドラッグ三昧ということではなく薬物を使用しだしたのはJB人生の中でも後半期だといわれています。初期の頃のJBは自分自身をプロモートするのにとても熱心で、ライブパフォーマンスで観客を見事に引き込んでいくパフォーマンスといいすごいアーティストでした。代表的なパフォーマンスとして「マント・ショー」があげられます。このパフォーマンス演出は1959年ごろに生まれました。最初はごく自然に起きた出来事をモチーフにお約束のショーにまで発展させたのは、まさにプロモーターとしてJBならではないでしょうか。

ジェイムズ・ブラウンの生涯 ~JBカムバック!

1975年にフレッド・ウェズリーがThe JB'sを去ってから、ディスコブームの波に乗ることが出来なかったJBが「アイム・バック!」と戻ってきた矢先に事件をおこしてしまいました。プライベートでは4度の結婚をして、最後の妻となったトミー・ライ・ヒニーとは2002年に結婚していますが、その後に離婚してまた再婚して子どもが1人授かっています。妻は3人だけど、結婚は4回ということになります。最初の妻との間には2人の子ども、2番目の妻とは3人の子ども、合計6人の子どもがいます。

1980年代

1984年にラップのアフリカ・バンバータとのデュオ「ユニティ」がスマッシュ・ヒットしたことで、JBは久しぶりに音楽シーンの注目を集めることになりました。1986年1月23日にロックの殿堂入りしたほかにも、映画「ロッキー4/炎の友情」に「ソウル界のゴッドファーザー」として出演しています。1986年「リビング・イン・アメリカ」が久々のJBのヒットとなり、低迷期からの復活となりました。さらに1988年に、フルフォースのプロデュースによる大傑作「アイム・リアル」を発表しています。そしてJBはラップ・ヒップホップのミュージシャンたちから『我が師』として尊敬されていき、JBの曲はサンプリングされまくることになりました。

しかし、そんな矢先にJBはトラブルを起してしまいました。1988年に、ドラッグ吸引中に奥さんとケンカして、マシンガンを持って家を飛び出して公園のトイレの便器に向かってマシンガンを乱射しまくり、通報で駆けつけた警察とオーガスタの州間高速道路20号でカーチェイスを行った末、ジョージアとサウスカロライナの州境付近でガス欠になって逮捕されてしまい、JBは6年の実刑判決を受けることになりました。

1990年代

1991年2月27日に、6年の判決に対して3年弱の服役で釈放されたJBは、この年にCD4枚セットの "Star Time" を発表しています。この頃からJBは今までの功績を称えられて、いくつかの名誉ある音楽関連の賞を受賞しています。

1992年2月25日に第34回グラミー賞特別功労賞を受賞して、その1年後には第4回リズム&ブルース財団賞特別功労賞を受賞しています。1993年11月11日にオーガスタ市長のチャールズ・ディヴァニーは、オーガスタ9番街を「ジェイムズ・ブラウン大通り」(James Brown Boulevard)と改名して記念式典を執り行われました。1998年に「ブルース・ブラザース」の後編「ブルース・ブラザース2000」にもJBは出演しています。

1992年に死去?

JBが1992年に亡くなったという誤報が流れました。これには理由があって、ハードコアテクノのアーティストL.A. Styleがリリースした「James Brown is Dead」がヒットしたことが、JBが亡くなったという誤報の理由だったと思われています。この曲は、作曲者のDenzil Slemmingがロサンゼルス滞在中に、バーで出会った酔っ払いがしきりに口にしていたフレーズを基に曲を作ったというものです。複数のアンサーソングが発表されたりして、「James Brown is Dead」は一時期ブームになりました。日本編集盤『James Brown Is Dead Or Alive!?!?』1992年には「James Brown is Dead」と、アンサーソングの代表作が収録されています。

2000年代

日本ではSMAPとコラボ楽曲を2000年10月14日にSMAPが発表したアルバム『S map ~SMAP 014』収録曲の中の「ジャラジャラJAPAN~for the Japanese」で楽曲を発表してSMAPと共演をしています。

2003年6月24日に、ハリウッドのコダック・シアターで行われた第3回BET(ブラック・エンターテインメント・テレビジョン)アウォードに招かれていますが、ここではマイケル・ジャクソンが飛び入りで参加しています。ちなみにマイケル・ジャクソンとの共演は、約20年ぶりのことでした。それからマイケルは「ここにいるこの人物ほど、僕に大きな影響を与えた人はいない」とスピーチして、マイケル自身のミュージシャンの師匠ともいえるJBに生涯功労賞を手渡しています。そして同年に、ケネディセンター賞も受賞しています。

2004年12月にJBは前立腺癌と診断されて前立腺癌の手術を受けています。

2005年5月6日はJB72回目の誕生日ですが、オーガスタ市は7フィートのブロンズ像を贈呈しています。ブロンズ像は元々は1年前に送られる予定でしたが、その当時はJBは家庭内暴力事件を起していたため、ブロンズ像の贈呈は延期されていました。

7月6日に世界中で同時に行われた、チャリティー・コンサートのLIVE8に出演して、イギリスの歌手ウィル・ヤングと「Papa's Got A Brand New Bag」をデュエットしています。1週間前にはジョス・ストーンと「Friday Night with Jonathan Ross」に出演して、デュエットを行っています。

2006年に世界ツアーとなる「Seven Decades Of Funk World Tour」を行いました。JBの最新のショーは、観衆から肯定的に受け入れられたショーになりました。最後のショーは、オキシジェン・フェスティヴァルへの出演でした。8月22日に、オーガスタ・リッチモンド郡競技施設局は、「オーガスタ・リッチモンド郡市民ホール」から「ジェイムズ・ブラウン・アリーナ」へと改名することを票決しています。11月14日に、JBはイギリス音楽の殿堂入りも果たしています。このときは、授賞式で演奏を行った幾人かの受賞者の内の一人でもありました。

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ

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