アシッド・ジャズとは?

アシッド・ジャズとは?

アシッド・ジャズのジャンルは?!となると、ジャミロクワイがデビューした1980年代にイギリスのクラブシーンで派生したジャズの文化です。70年代のジャス・ファンクにヒップホップ、ソウル・ジャズといったいろいろな要素を混ぜ合わせているファンキーなスタイルで、音楽のジャンルです。

アシッド・ジャズの語源

アシッド・ジャズのアーティストで、イギリス屈指のパーカッショニストでもあるスノウボーイが、「アシッド・ジャズ」の語源について関係者へインタビューを重ねたところ、1988年2月6日にミドルセックス州ブレントフォードのウォーターマンズ・アーツ・センターで行われたイベントでのことです。DJのクリス・バングスが「Special Branch」で、アート・ブレイキーの「The Feast」を選曲したときに、DJブースの背後に設置されたプロジェクターで点滅している「ACID」の文字を見たときに【アシッド・ジャズ】という言葉を発案したことが分かりました。

そしてその時には、クリス・バングスと一緒にDJプレイをしていたジャイルス・ピーターソンが、マイク・パフォーマンスをした時に「アシッド・ジャズ」と言ったことから、エディ・ピラー、サイモン・ブースというDJたちの間に「アシッド・ジャズ」という呼び名が伝わったとされています。そして翌3月26日に、クリス・バングスとジャイルス・ピーターソンによって「アシッド・ジャズ」を掲げての初のイベントとなる「Cock Happy」が行われています。

その一方では、ジャイルス・ピーターソンと1987年に 「アシッド・ジャズ・レコーズ」を設立したエディ・ピラーの曖昧な見解では、1985年頃にクリス・バングスとジャイルス・ピーターソンが「The Wag Club」で行っていた月曜セッションと「Royal Oak」など行っていたイベントの「Special Branch」で「アシッド・ジャズ」という言葉が生まれたとしているので、「アシッド・ジャズ」の呼び名の由来になる発祥した場所と年時に違いはありますが、スノウボーイとエディ・ピラーの対談で、クリス・バングスが「アシッド・ジャズ」の呼び名を発案した人物だという見解は一致しています。そしてクリス・バングス自身も呼称の発案者であることを自認しています。

アジッド・ジャズの概要

1981年(昭和56年)に、ロンドン・カムデンのクラブ「Electric Ballroom」でDJのポール・マーフィーが、ジャズのレコードを選曲したイベント「Jazz Room」を開催しました。マンチェスターのクラブ「Berlin」では、DJコリン・カーティスとダンス・グループのジャズ・ディフェクターズによるジャズ・イベントが話題となったことをうけて、イギリスではジャズに合わせて踊る文化が発祥しました。そして1984年(昭和59年)に「Jazz Room」は、ロンドン・ソーホーのクラブ「The Wag Club」へ移転します。「The Wag Club」では、とてもDJとして影響力を持つジャイルス・ピーターソンやバズ・フェ・ジャズといったDJたちを輩出していくクラブになりました。

1985年(昭和60年)にサイモン・ブースが率いるワーキング・ウィークは、「Electric Ballroom」で選曲されていたフュージョンに影響を受けてアルバム「Working Nights」を制作した。サイモン・ブース(現:サイモン・エマーソンに改名)は、アルバム「Working Nights」に収録されている「Stella Marina」が最初にアシッド・ジャズとして作られた楽曲だという見解を示しています。 

同年の1985年に、クリス・バングスとジャイルス・ピーターソンによりジャズ・イベント「Mambo Madness」「Special Branch」が開催されたことで、クラブでのジャズ・シーンが発展していきました。それから後にスペインのイビサ島で「Special Branch」が、開催されるまでに大きく規模が拡大しました。

1986年(昭和61年)に、ロンドン・カムデンロックのクラブ「Dingwalls」で開催されたジャイルス・ピーターソン、パトリック・フォージ、ボブ・ジョーンズのイベント「Talkin' Loud and Saying Something」が反響を呼んだこともあって、ジャズのムーブメントはクラブシーンの中で定着していきました。そしてクラブでのジャズはこの頃から、文化となりクラブシーンからのジャズの文化を「アシッド・ジャズ」と呼ぶことになりました。アシッド・ジャズ・シーンは、従来のジャズ・ダンス・シーンと音楽性に変わりはないため、同じジャズ・ムーヴメントを指しています。 

1988年(昭和63年)に、ファッション雑誌「I.D.」が、人気DJのクリス・バングス、ジャイルス・ピーターソンの特集を掲載したことで、アシッド・ジャズ・シーンはそれからさらに急激に勢いをつけることになり、1990年(平成2年)には、イギリス全国のクラブ、バー、パブ、大学などで「アシッド・ジャズ」の数多くのイベントが催されることになり、アシッド・ジャズのスタイルが確立しました。

そして「アシッド・ジャズ」が普及していったことには、ポール・ブラッドショウが編集長を務める音楽雑誌「Straight No Chaser」も貢献しています。「Straight No Chaser」誌は、記事の中で「アシッド・ジャズ」を頻繁に取り上げたほかにも、アートワークを重視してアシッド・ジャズのイベント・チラシを手掛けるイアン・スウィフト(Swifty)を「Straight No Chaser」誌の表紙デザイナーに起用しました。イアン・スウィフトは、ジャイルス・ピーターソンが設立したレーベル「トーキング・ラウド」のアートワークなども数多く手掛けています。

アシッド・ジャズを掲げたクラブのイベントでは、ジャズ・ファンク、ソウル・ジャズを中心にしつつ、ジェームス・ブラウンといったファンク、ハンク・モブレーの「Recado Bossa Nova」、リー・モーガンの「The Sidewinder」といったスタンダード・ジャズから、ボサノヴァ/ブラジリアン、ブーガルーといったラテンジャズまで、様々な楽曲がDJによって選曲されることになりました。 また、時代の経過とともに、ジャズの音源をサンプリング・ソースに使用したヒップホップやハウスも選曲されるようになりました。

アジット・ジャズのDJ・アーティスト・プロデューサー

  • イアン・スウィフト
  • インコグニート 
  • エディ・ピラー
  • オマー
  • ガリアーノ
  • キョート・ジャズ・マッシヴ
  • クリス・バングス
  • コーデュロイ
  • コリン・カーティス
  • サイモン・ブース
  • ジェイムス・テイラー・カルテット
  • ジャイルス・ピーターソン
  • ジャズ・ディフェクターズ
  • ジャミロクワイ 
  • ジョー・デイヴィス
  • スノウボーイ
  • バズ・フェ・ジャズ
  • パトリック・フォージ
  • ブラン・ニュー・ヘヴィーズ
  • ポール・ブラッドショウ
  • ポール・マーフィー
  • ボブ・ジョーンズ
  • モンド・グロッソ
  • ヤング・ディサイプルズ
  • ユナイテッド・フューチャー・オーガニゼイション
  • Guru's Jazzmatazz
  • US3

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ

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