アシッド・ジャズの音楽2

ボサノヴァとMPB

アシッドジャズは様々な音楽がミックスされて、ひとつの音楽のムーブメントとなっていきましたがジャズだけはなく、様々な楽曲がミックスされて独自の発展をしているので『アシャッド・ジャズ』を説明するときは、かなりざっくりと「ジャズでいながらジャズではなく、オシャレな音楽」というように説明されることが多くあります。アシッド・ジャズの音楽性を語るときには、ブラジルの音楽ともいえるブラジリアンボサノヴァも外すことはできません。

ブラジリアン・ボサノヴァ

DJコリン・カーティスは、1980年代の初頭からアメリカ盤のブラジリアン・フュージョンをクラブで選曲していました。そして1985年(昭和60年)にかなり影響力を持つようになっているジャイルス・ピーターソンが監修したDJに向けたコンピレーション・アルバム「Jazz Juice Vol.1」には、セルジオ・メンデスの「Mas Que Nada」やアイアート・モレイラの「Celebration Suite」といった、アメリカからのブラジル音楽が収録されています。ブラジル音楽のサンバのサブスタイルのバトゥカーダを基調にしている「Celebration Suite」は、アシッド・ジャズのクラブで人気となったこともあり、それから後に複数のカバー・バージョンがリリースされています。

1986年(昭和61年)に「Far Out Records」のジョー・デイヴィスが、イギリスではとても入手することが難しいブラジル盤のレコードを現地から輸入してロンドンのDJ達へ供給を始めたことでより、1960年代のジャズ・サンバやMPB(ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックでブラジル音楽の一種)がクラブ・シーンに紹介されました。このMPBの代表的なアーティストにはジョイスがいますが、ブラジル人女性シンガーソングライターのジョイスのアルバム「Feminina」に収録された「Aldeia De Ogum」は、アシッド・ジャズ・シーンの中でも特に人気が高くなっていて、ジョイスが行なったロンドン公演「トーキング・ラウド・セッション」の時には、観客がまるでロック・コンサートのような盛り上がりを見せることになりました。 ジョイスと同じ様に、女性シンガーのエリス・レジーナ(ジャンルはボサノバとMPB)も高く評価されているため、彼女の代表曲「Upa,Negrinho」は、エドゥ・ロボのオリジナル・バージョンと一緒にDJ間ではアシッド・ジャズのスタンダードと化しています。

1992年(平成4年)にセルジオ・メンデスは、レゲエ調のサンバのリズムのサンバ・ヘギを取り入れたシングル「What Is This?」をリリースしましたが、「What Is This?」は、アシッド・ジャズの著名なDJにプレイされたことで、かなり大きな話題となって、セルジオ・メンデスは新しいリスナーを獲得することになりました。

MPB

Música Popular Brasileira ムジカ・ポプラール・ブラジレイラの頭文字を取ってMPBといわれるブラジリアン音楽のひとつのジャンルですが、1960年代の後半にボサノヴァ誕生した以降のブラジルのポピュラー音楽のひとつです。この音楽の発生には、世界的な音楽流行となった「反戦」⇒「ロック」⇒「ヒッピー」と繋がっている世界的な音楽の流行がブラジルへ伝わり、その音楽的な流行を若いブラジルのミュージシャンが主導していったトロピカリズモ運動がMPBの発祥だといわれています。

トロピカリズム運動は、「ロック」的な思想の受容であり、それと脱植民地化、ブラジル的アイデンティティの確立という思想も含まれていました。ブラジルの伝統的な音楽リズムと現代的な音楽のフュージョンが積極的に図られていきました。MPBはロックを中心としつつ、広い意味では1960年代以降の音楽でブラジルで流行した楽曲のほぼすべてがこのMPBというジャンル名で括られることになります。 

MPB代表的なミュージシャン

イヴァン・リンス
…1945年生まれ。初期のヒット作"Madalena"は1970年にエリス・レジーナにカバーされて特に有名。その他にも著名なミュージシャンにカバーされている。
エリス・レジーナ
…1945年生まれ。「三月の水(Águas de Março)」が特に有名。
カエターノ・ヴェローゾ
…1942年生まれ。1980年代にはブラジルから、イスラエル・ポルトガル・フランス・アフリカへ人気が拡大。国際的なポップスター。
ガル・コスタ
…1945年生まれ。1982年のアルバム『ファンタジア』からのシングル『フェスタ・ド・インテリオール』はプラチナヒット。
シコ・ブアルキ
…1944年生まれ。特権階級に生まれて育つ。反政府活動によって逮捕されてイタリアに亡命。1970年にブラジルへ戻る。
ジャヴァン
…1947年生まれ。1982年にアメリカへ進出。「ルース」は世界中で大ヒット。
ジョイス
…1948年生まれ。ボサノヴァ第二世代としての代表者。
ジョルジ・ベンジョール
…1945年生まれ。「Taj Mahal」(タジ・マハール)は、トヨタのヴァンガードのCMに2008年8月まで使用。
ジルベルト・ジル
…1942年生まれ。音楽活動ではMPBの重要な人物としても有名。政治家としては2003年~2008年までブラジルの文化大臣も務める。
ホベルト・カルロス
…1941年生まれ。2009年に芸能生活50周年を祝ったブラジルの大御所で、ブラジルでは知らない人はいないほどの重鎮。「君を歌う」(CANZONE PER TE)はヨーロッパで大ヒット。
ミルトン・ナシメント
…1942年生まれ。別名「ブラジルの声」という異名を持つ。MPBの代表的アーティスト。
マルコス・ヴァーリ
…1943年生まれ。1968年「サンバ’68」がアメリカで大ヒット。

セルジオ・メンデス

1941年2月11日、ブラジルリオデジャネイロ州のリオデジャネイロ市近郊のニテロイで生まれ、幼い時から音楽学校でクラシック・ピアノをまなびますが、クラッシクの道へは進みませんでした。

1950年代後半にジャズの影響などを受けながら、ボサノヴァへ移行して、1962年「ヴォサ・リオ・セクステット」を結成しています。ブラジルからアメリカへ1965年に活動の場を移して、1960年代中盤から後半にかけて巻き起こった世界的なボサノヴァ・ブームの推進役を務めることになりました。

1966年に発表の「Sergio Mendes & Brasil '66」と、その中に収められていた「Mas Que Nada(マシュ・ケ・ナダ)」のアレンジが世界的に大ヒットしたことで、世界中にセルジオ・メンデス名を轟かすことになりました。

ジョイス

1948年1月31日に、ブラジルリオデジャネイロで生まれています。既に15歳のときには、サンバカーナというヴォーカルグループに参加していて、歌手としてレコーディングに参加しています。ジョイスが20歳の1968年のときに、ファーストアルバムを発表しています。1980年代に、「フェミニーナ」に収録されていた「クラレアーナ」はブラジル国内でもヒットして、1990年代に入るとアメリカのフュージョン・レーベルから、ジャズ・フュージョンタイプのアルバムを出しながら、欧米のクラブにも出演して絶賛されますが、その中でも特にロンドンではブラジル音楽ブームの牽引的な存在になりました。

エリス・レジーナ

1945年3月17日に、ブラジルのリオ・グランデ・ド・スル州に誕生しました。11歳の時に早くも子供向けラジオ番組で、歌手としてのキャリアをスタートさせています。1960年代の後期から1970年代の初頭には、他のミュージシャン達とレコーディングを行い、当時のブラジルでおきていた音楽を中心にした芸術運動のトロピカリア運動の普及に貢献しています。

1974年に、発表した『エリス・アンド・トム』は、アントニオ・カルロス・ジョビンとコラボレーション作品ですが、このアルバムは最も優れたボサノヴァアルバムの一つとして上げられるほどです。1982年にコカイン中毒とアルコール中毒で36歳で亡くなっていますが、短いキャリアの中で数々のトップセラーを記録したMPBのミュージシャンのひとりです。

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ