アシッド・ジャズの音楽

ジャズ・ヒップホップ・モッズ

アシッド・ジャズの主要レコード・レーベルは、「キッズのための、キッズによるジャズ」をコンセプトに1987年(昭和62年)にエディ・ピラーとジャイルス・ピーターソンによって「アシッド・ジャズ・レコーズ」レーベルが設立されたことがあげられます。そして、ジャミロクワイを一躍スーパースターにした記念すべきデビュー・シングル「When You Gonna Learn」や、オムニバス盤の「Totally Wired」シリーズをリリースしました。

アシッド・ジャズ・レコーズから独立したジャイルス・ピーターソンは、1990年(平成2年)に「トーキング・ラウド」レーベルを設立します。このレーベルには、1991年(平成3年)に全英チャート第6位を記録したインコグニートのシングル「Always There」を始めとして、オマー「There's Nothing Like This」、ガリアーノ「Long Time Gone」、ヤング・ディサイプルズ「Apparently Nothin'」といった、全英チャート(Music Week)に20位以内にランクインするヒット・シングルをリリースしました。

ジャズ・ファンク

DJのジャイルス・ピーターソンや他のDJから「ファンク・ジャズ」と呼ばれていたジャズ・ファンクは、16ビートのフュージョンとは異なっていて、ジャズのアンサンブルで16ビートのリズムを持つ楽曲を指しています。 プレスティッジ・レコード7000番台のアルバム、プーチョ「Heat」や、10000番台のアルバム、ファンク・インク「Funk Inc」などの作品の他にも、1967年(昭和42年)ブルーノート・レコードからリリースされたルー・ドナルドソンのアルバム「Alligator Boogaloo」の1971年(昭和46年)リリースされたグラント・グリーンのアルバム「Shades Of Green」、BNLA期ではドナルド・バードのアルバム「Black Byrd」などがジャズ・ファンクのカテゴリーに含まれます。

ヒップ・ホップ

DJジャイルス・ピーターソンが、パブリック・エナミーの「Fight The Power」やロニー・リストン・スミス「Expansions」のフレーズを引用したステツァソニック(1981年結成:世界初のヒップホップバンド)の「Talkin' All That Jazz」を、クラブやFMで選曲したことから始まります。

それはやがて「アシッド・ジャズ」のムーブメントと「ヒップホップ」とが呼応した始まりでもあり、1990年(平成2年)のStraight No Chaser誌では「Hip Hop Meets Be Bop」(ヒップホップとビーバップが出会う)を特集しました。そして同年には、アシッド・ジャズのグループの、ヤング・ディサイプルズがプロデュースしたドリーム・ウォリアーズのシングル「My Definition Of A Boombastic Jazz Style」が、全英チャート1990年11月週で13位を記録しました。映画「モ'・ベター・ブルース」のサウンドトラックからシングルカットされたギャング・スターの「Jazz Thing」や、ジャズ・ベーシストのロン・カーターが参加したア・トライブ・コールド・クエストのアルバム「The Low End Theory」は、アシッド・ジャズのDJによって評価されることになりました。

それ以降、ヒップホップとのコラボが発展を遂げることになり、ギャング・スター、ファーサイド、メインソースといったヒップホップ・アーティストが参加したブラン・ニュー・ヘヴィーズのアルバム「Heavy Rhyme Experience Vol.1」、エンディア・ダベンポート(ブラン・ニュー・ヘヴィーズ)、コートニー・パイン、ドナルド・バード、ブランフォード・マルサリス、ロイ・エアーズ、ロニー・ジョーダン、ロニー・リストン・スミスのジャズ・アーティストが参加したGuruのアルバム「Jazzmatazz Vol.1」がリリースされました。

「アシッド・ジャズ」のDJが取り上げた楽曲の中からヒット作も生まれました。1992年(平成4年)に、ボブ・ジェームスの「Tappan Zee」をサンプリング・ソースに用いたアレステッド・ディベロップメントのシングル「People Everyday」が全英チャートで第2位、全米チャートでも第8位を記録しました。

1993年(平成5年)に、ディゲイブル・プラネッツが、アート・ブレイキー、ザ・クルセイダーズ、マイルス・デイヴィスらの音源をサンプリング・ソースに用いたアルバム「Reachin' (A New Refutation of Time and Space)」でグラミー賞ベスト・ラップ・パフォーマンスを受賞しました。

1994年(平成6年)には、ハービー・ハンコックの「Cantaloupe Island」をサンプリング・ソースに用いたUS3のシングル「Cantaloop」が、全米チャート第9位となるヒットを記録しています。ハービー・ハンコックの「Cantaloop」はブルーノート・レコードからリリースされたことで、公式に音源のサンプリング使用を認められることになりました。

モッズ

1985年(昭和60年)モッズ・ムーヴメントの第2世代の主要人物ともいえる、エディ・ピラーが「Royal Oak」で行われていたDJジャイルス・ピーターソンのジャズ・イベント「Special Branch」に足を運び始めるようになりました。そのイベントで選曲されていたジミー・スミス、ジミー・マクグリフ、ジャック・マクダフといった、ジャズ・オルガン奏者の楽曲がモッズの間で評判となって、来場客の半数をモッズ・コネクションで占めるようにまでになりました。(モッズは1960年代末期からさらに変わっていき、丸坊主にディープなレゲエを聴くようになる)

モッズ・グループのプリズナーズでハモンドオルガンを弾いていたジェイムス・テイラーは、エディ・ピラーにカルテットの結成を提案されたことで、ジェイムス・テイラー・カルテットとしてハービー・ハンコックの「Blow Up」のカバー・バージョンを録音しています。 ジェイムス・テイラー・カルテットは、それから後にエディ・ピラーが設立したアシッド・ジャズ・レコーズよりアルバムをリリースしています。

ロンドン発!Jamiroquaiジャミロクワイ

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